子どもに対して「もっと現実を直視しなさい」と説教する親や教師がいますが、自己評価と他者の評価が一致している、すなわち“勘違いしていない”ひとの典型はうつ病患者です。あらゆる出来事をネガティブにとらえてしまうのがうつ病だとされていましたが、最新の研究では、彼らの自己認識は正確すぎてポジティブな勘違いができないのだと考えられるようになりました。

“俺”ではなく“俺たち”を自慢する日本人 週刊プレイボーイ連載(102) | 橘玲 公式サイト (via deli-hell-me)

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イタリアのサッカーの試合で、ゴールエリァのファールを取られてフリーキックになったことがありました。

誰もがエーッとなりました。

攻めている側もわかるミスジャッジでした。

サッカーは、ミスジャッジも含めたゲームです。

「いただき」でシュートを打っていいシーンです。

フリーキックをする選手は、フワーンと蹴って、わざとはずしました。

誰もが大拍手です。

最終的には、わざとはずしたチームが勝ちました。

サッカー場にいた人は最高のシュートを見たのです。

両チームとも「いまのは誤審」とわかって、もう1つ上の試合をしています。

見た目の試合に勝って生き残るよりも、記憶の中に生きのびています。

みんなの記憶の中に生き残ると同時に、気持ちが自分自身の人生に残ります。

審判に決められることではないのです。

ギリギリセーフかギリギリアウトかは自分の中の判断です。

ぶちキレそうなところを「危なかった。いま怒るところだったよ」というのはセーフです。

ぶちキレそうだったのがぶちキレていません。

「許した」もセーフです。

審判のミスジャッジに、「いまのはおかしい」と食ってかかるのを、ファンは見たくありません。

審判に食ってかかるのを見たくて、競技場へ行っているのではないのです。

ミスジャッジでも「いまのファールは厳しいよね」と言いながら見ています。

そんなこともあると、選手も見ている人もわかっています。

審判も「しまった」と思っています。

すべての人がここで救われるのです。

審判は、「フリーキック」と言ったあとで、「ゴメン、いまのはちょっと違った」とは言えません。

フリーキックをわざとはずすことで、審判の面子もつぶさずゲームの続行を共有できます。

これが大人です。

子どもは、みんなが感動しているのを見て「スポーツっていいな」と思います。

ただ勝つよりも上の世界があるのです。

» ギリギリセーーフ (via irregular-expression)

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「100人のサークルを率いていました」と聞いても、ふーん、としか思わない。「100人を率いるとこんな問題が出てきて、こういうことを知っていないと、内乱が起きて大変なことになるんです」だと、思わず身を乗り出して1時間ぐらい正座したくなる。伝えかたって大事

Twitter / @medtoolz (via takeori)

(元記事: raitu (eternityscapeから))

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「”好かれる人”というのは”わかりやすい人”のことです。迷惑をかけるかけない、気遣いができるできないなんてのは大した問題じゃありません。人が一番避けるのは、言動や感情を他人に見せない、わからせない人です」というような文章を5,6年前に読んだんだけど、未だに思い出すたびウッてなる。

Twitter / ミキ (via deli-hell-me)

(moon-schaefferから)

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理由があるのに、何故イライラが内々に処理できないのだろうか?

怒るという状態はいわば脳が吐き出すエラーであり、せいぜい数時間程度で収まるものだ。

それ以降は考えることを放棄し、「怒りをいちいち反芻して」怒っているだけ。

最初の怒りが落ち着いたら、その原因を潰せばいい。


原因が潰せないから怒ったというのなら、二度と同じことでエラーを起こさないよう環境や行動を変えるべきだ。

Twitter に「あああああああああ」「死にたい」「つらい」「全員死ね」と投稿したって、

せいぜい友人たちの励ましの言葉が送られてくる程度で、現状は何も変わらない。

俺だって最初、自分は構って欲しくてメンヘルツイートをしているのだろうと自分で思ったが、

構ってもらったって気持ちが落ち着くのは一瞬だけだ。根本的に解決しないから。


けれど「怒りをいちいち反芻して」いるような人たちは、「怒りの理由を処理する」ことを思いつかない。

もっと言えば「怒りの理由を処理する」という発想が出来るようになる環境で生きていなかったのだ。

「メンヘルツイート」という暴力 - 日記1041

あとモテ系の人は「自分がどう思ったか、どう感じたか」っていう個人的な話をよくする傾向にあって、
非モテの人は一般論を語る傾向にあると思う。
可愛い子やイケメンはその時点で価値があるから、その人の「どう感じた」っていう情報にも価値がある。
たとえば可愛い子が「私RAD好きなんだ~」と言うと、
その子を口説きたいと思ってる男は話題を合わせるためにさっそくRADを聴くし、
練習してカラオケで歌って好感度上げることを目論んだりする。
 
当然私はブス非コミュなので、私自身の情報には価値がないと思って、
芸能人の意外なエピソードなり、引きの強いデータなりを持ち出す、っていう方法で関心を引いてきた。
でも、たまーにだけど、こういうことを言われることがある。
「一般的にそういうのが人気があるのはわかるけど、増田自身はどういうのが好きなの?」
可愛い子やイケメンにとって当たり前のことである「自分自身に関心を持ってもらえること」に、
私は新鮮な嬉しさを感じることができる。
このハードルの低さって、ブス非コミュならではの感覚だよね?

ブスに生まれ非リアとして生きるメリット (via izumiumi)

(yaruoから)

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Internet is something to drink.: 量が質を凌駕するという話

ktsuyuguchi:

 私の周りには、非常に頭が良い人ばかりが常にいる。

 学歴で言えば、東大京大早稲田慶応が普通にいるし、私の夫は神戸大学大学院工学部情報知能学科?だっけ?忘れたけど頭が良い。神戸大学の大学院なんかたいしたことないだろ、と仰る方もいらっしゃるかと思うが、私の最終学歴は愛知大学文学部哲学科中退ですから、そういう私から見るともう本当に頭が良い。

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